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The SELTAEB-log

セルターブログ

ぱいんちゃんプロデュースによるセルタ音源を先日の練習時にぱいんちゃんより渡して貰いました。現時点でのセルターブの集大成とも言える音源です。
改めて客観的に聴くと色々と気付く点が出てきたりするわけですが、でもコレがなかなかどうして結構イケてるんじゃないかと思ってしまいます。
ぱいんちゃん曰く「カーステで聴くとよい」とのことでしたがまさにその通りでした。当分の間車内ではヘヴィローテーションになることでしょう。
ぱいんちゃん、プロデュース業お疲れ&ありがとうごじゃいました。

でもプロデューサー名の「リンゴ☆彡ぱいんマーティン」ってなんて読むの?
(レノすけ)
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アタシの今の壁。
というかハードル。というか石ころ。というかまあ課題です。
それは楽器を演奏しながら歌を唄う という行為についてです。何を今更?いやいや。まあこれは独り言ですからね~。


コピバン人なら一見当たり前のようにしていることですが突き詰めるとこいつは非常に難しいものです。
実際ビートルズはバンドの構成からいうとツインギター(と表現していいかどうかはさておき)でありながらまあ言ってみればバンドとして音を出す最低限の編成。だから必然的に弾きながら(もしくは叩きながら)唄うということを当然の如くやってのけてくれちゃってます。
当然、コピバンもこれにならいます。

ところがこいつが非常にまともに取り組めば取り組むほど難しいものでして。
何でこの曲でこうなるのというくらい上手くいかないのです。僕の場合唄いながらギターを弾くという行為が。
どちらか(唄うか弾くか)に集中すれば上手くいく。ところが同時にするとどうしてもどちらかが疎かになる。もたつく。
ビートルズの面々はいとも簡単にこれをしているように見えるけれど、実は決してそうではない と思います。天然であれだけのグルーヴは絶対に出せるものじゃない。
見えないところで間違いなく自己研鑽をしていたに違いないと僕ぁ思います。その本家ビートルズでも頑張っていたのだからコピバン人が頑張らないとは甚だおこがましい と思うに至ったのであります。


今更ながらですがアタシは痛感しました。
自分の持つ総合力が問われますねえ、楽器を演奏しながら唄うという行為には。

もしかして脳の老化に起因しているのか?などと考えてみたりもする。
いや案外そうかも知れないぞ…。左脳と右脳の関係に何か重要な鍵があるのかも知れん。ならばまずは脳トレからか?

まあいいや。ささ、練習れんしう~。(レノすけ)
先日、ボクの個人的な理由により急遽トニー欠席状態の3人での練習を行った。
はなから3ピース・バンドとして形成された状態でビートルを演奏するバンドなら、それなりにアレンジされた形式で演奏をするんだろうが我々は違う。完全に片腕を失ったような寂しい、そして物足りない演奏となってしまう。個々の存在感を存分に痛感してしまう。当然といえば当然なんだが・・・・。

ところが、その物足りなさが相まってか自分の出している声や楽器の音が顕著にあらわになってしまい、ミスや雑さや下手さが鮮明に浮き出てくる。頭の中でトニーの声やベース音を想像しながら演奏しているのだが、それ以外に何か“足りないモノ”を感じることができたりもする。
このあたりの感覚は実はとても重要なものなのかもしれない。
そして自分を含め、それ以外の音を五感で感じとる重要性もしかりである。

1人不足による物足りなさを吹き飛ばそうとして、逆に勢いを増してやろうと意識が働く部分が出てきたりと・・・・4人揃ってこんな感覚で勢いを爆発した日にぁ~○△□*だな。

(たーすん)


ライブの時、これは見た目的に非常に映える。
セルターブでもたまにやる。トニ&スン、もしくはスン&レノという組み合わせである。立ち位置上、スンはあっちに行ったりこっちへ行ったりと忙しそうである。

見た目にはカッコイイこの技であるが、ただし実践する場合に厳守しなければならない注意点がある。
ライブ直前に、ニンニクや焼き魚を決して食してはならぬということだ。
(レノすけ)
昨日「ぱい☆スタ(*1)」で短期強化合宿(笑)を行なった。
(*1:リンゴ☆ぱいんスタジオの略。最先端の技術の粋を集めた最高の音場空間がそこにある)


今バンドでは、過去にセルターブで取り上げていた楽曲の「再構築」を行なっている。
勿論それは完全コピーを目指すに当たって絶対に避けては通れない道である。

で一通り課題曲を通して演奏してみた後のこと。たけスンの提案で「今現在のセルタの音を録ってみよう」ということになった。
曲名は企業秘密なので明かすことは出来ないがまあ初期のスタンダードである。
こういう時、ぱい☆スタは絶大な効力を発揮する。ぱいんはスタジオ内の機器類を手馴れた手つきでちょちょいのちょいと操る。
で録音スタート(ジョージ・マーティンがそこにいたなら「セルターブ、テイク1」とマイクを通して言っていたに違いない)。

そして録られた音をリプレイしてみる。


で愕然とする。まあ初めての音録りということで若干固くなっていたことは否めないがそれにしてもなんとももたついた音だった。
演奏している瞬間は四人のメンバーがそれぞれ各パートを自分なりに一生懸命こなそうとしているのは当然のこととして、それがブレンドされた状態が完成品となることを前提として「客観的に」それを鑑賞してみた時、ありとあらゆるところに課題が発見された。
そして「客観的に観察する」というこの作業をしていくということ。これはバンドをやっていく上で何よりも大切なことと痛感させられた。

まんじりともせずその音源をじっくりと聴き返した後で、そしてもう一度演ってみようということになる。
すると次のテイクは格段に良くなった。それは演奏している時点で感じることが出来た。
客観的に演奏を観察して、そして浮き彫りになった数点の課題に注意してもう一度取り組むだけで時間にして僅か10分足らずの間にここまでの劇的変化があることの面白さ。これがバンドの面白さ・醍醐味なのだと再確認させて貰った。

そして改めて思う。「録音しよう」というたけスンの提案がなかったらここまで登るのに(それが「いずれ」克服できた課題ではあったにしろ)もっと遠回りしてそして多くの時間を消費していたに違いない。
ぱい☆スタの強みはその場ですぐにそれに対応できることにある。
それは「いつか」ではなく、「今」対応できること。
セルターブには勿体ないほどの最高の練習環境がここに、ある。


思えば偶然にもぱいんという最高のプレーヤーに巡り合えたこと、そしてセルターブに加入して貰えたこと、その上全く思いがけずトレーニング場所として使わせて貰えることとなった「ぱい☆スタ」。

この恵まれた環境とそして志を同じくする仲間と今この時を一緒に過ごすことが出来ることに(言葉にするのはかなり恥ずかしい感じもするが)僕は『感謝』したい気持ちで一杯である。
(レのスケ)
たけスンに続きます。
ボクの場合のコピバン考というかコピバン学、もしくはコピバン道。

それは譜面に頼らないこと。いやむしろ捨てることだと思います。


僕の場合ジョンの担当ということもあって演奏面では主にリズムギターが主体なので(たけスンのようにリードを取ることは滅多に^^ない)、大まかなコードを把握したらあとはとことん原曲を聴き込んで、そのコードをどのポジションで押さえているかを推定し検証します。
ここでジョンに僕は一旦なりきります。そしてジョンの手癖や手の抜き方(これがミソ)を考えた上でポジションを決定していきます。
ただジョンは思いのほか指が結構長かったとのこと。だからたまに想像出来ないことをやってのけていますのでその辺を探し出すのが面白いですね。
そしてそのようにして自分のものにしたレパートリーは、文字通り身体が覚えていますから絶対に忘れる事がないのです。

勿論、ライブ映像を見て検証するのが一番確実でしょうけれど。でも映像が残っている曲の方が遥に少ないわけですから。となるとこの手法しかない。
そこで譜面を捨てる「決意と覚悟」が必要になってくるのです。譜面はあくまで参考程度。明らかに誤ったものも世にたくさん存在していますし。
第一、譜面通りにやってみてビートルズになるかというと全然ならないからね。譜面上には絶対に表現出来ないプラスアルファ(いやもっとそれ以上のもの)こそがビートルコピーのツボだと確信するからです。
演奏面しかり、歌を歌うことしかり。


実は先日秘密の地下牢で行なわれた練習中に聴いた「SLOW DOWN」のコードポジションも今まで譜面通りにやっていてどうにもイマイチしっくり来なかったものが違う環境で改めて聴いたら稲妻が炸裂するようにコードポジションが見えた瞬間がありました。アアーッここだッ!みたいな(笑)
こういう瞬間に遭遇できた時の感覚こそ、まさにコピバン冥利に尽きますね。
(レノすけ)
たけすんです。

ビートルズのコピ・バンをやっているから必ずしや彼らビートルズが使用していた楽器や機材というものに挽かれてしまう。
リッケン、ラディック、へフナー、グレッチ、VOX・・・・・・と。

実際、これらの楽器の○○年式の“ビンテージ”などと呼ばれている高価なモノを目にしたりすると、いったいどんな音色を出すんだろうか?彼らと同じような、または近いサウンドを再現できるのだろうか?等と興味津々になっていまうこともある。
そして・・・・なんの疑問もなく、この時点ですでに“ビンテージ=いい音”、このビンテージを使用すれば彼らの『醸し出すサウンド』に近づけるだろうという図式が勝手に頭の中で完成されてしまっているのである。 これじゃーバンドとして演奏する以前に単にコレクターとして自己満足で終わってしまっている。 バンドとしては、ビンテージや細部まで全く同様な機材の必要性はなく、逆にそれらは単なる「コスプレ・アイテム」程度として、そしてビートル・サウンドの真の醍醐味である“歌”や“コーラス”、“リズム”、“感性”といったものを骨身を削って追求しなければコピ・バンとしてはほど遠いものになってしまうだろうと思う。(まぁ~正直なとこ、機材に投資できるほどの財布もないし) こんな感じでセルタも成長できたらなと思う。

(『だって彼らビートルズが、その当時ビンテージを使っていたわけじゃーないやん!!』(レノすけ語録))
いやいや、これまた格言ですなぁ。